靴のはなし

靴のはなし 西石垣友里子

靴のはなし 西石垣友里子

 

にしいしがきゆりこ

沖縄県・石垣島出身 浦添市在住

木工職人

 

 

 

沖縄県の石垣島出身なので、そもそも服を買ったり、靴を買ったりするお店の選択肢がなかったって いうところからスタートしてるんですよ。お店も少ないし、情報も少ないし、その中で限られたおしゃ れをどうするかっていう話なんですよね、私達の時代って。沖縄本島まで出掛けて頑張って探すとかそ ういうことは 18 歳くらいになってから。ちょっと脱線しますけど、私が中学生の時ってテレビがね、2 局ぐらいしかなくて。石垣島のケーブルテレビと NHK、たまに台湾のチャンネルが入ってくるような 感じ。初めて観た民放って、あすなろ白書の最終回。今日から民放がスタートですっていう時に、塾が 終わってから自転車飛ばして帰った記憶があるんですよ。そんな時代。 年頃になって、おしゃれをするといっても、頑張って手に取ったのがコンバース(※1)だったってい うのがスタートだったんですよね。中学生の頃、ハンドボールをやっていたんですけど、その部活用の スポーツシューズもあったけど、普段履くのはコンバースだけだったみたいな感じです。ほとんどみん なコンバーズを履いていたのは覚えています。カラーが少ないから誰かと必ず被ったりしてて。 こんな感じでコンバース人生がスタートして、結局何やかんやで大学生になってもずっとコンバース を履き続け、バイト先でみんなと飲んでいる時も、コンバースばかり履いてるものだから靴のことでい じられて。私が沖縄に帰るってなった時に、バイト先の人からは餞別にとコンバースを贈ってもらいま した。 私が大学進学した兵庫県にはモトコー(※2)と呼ばれる商店街があって、そこにコンバースの聖地と いわれる柿本商店(3※)があるんです。高架下にあったので、駅を利用する人は必ず柿本商店の前を通 るんです。コンバース好きな人の目には必ず入っていたんじゃないかな。私もその店はよく見に行って いました。大学に入って、田舎から解き放たれたので、コンバース以外の靴とかもすごい好きってなっ てしまって、クラークスのナタリー(※4)とかカンペール(※5)とか、ちょっと浮気しつつね、頑張っ て履いていました。でも古着も好きだったので、何だかんだ言ってもコンバースも履いていたかな。神 戸の女子大生はなんだかキラキラしてて、私はそこまでキラキラではなくて、結局靴でキラキラを楽し んでたかな。

大学を卒業したあとも 6 年は神戸にいて、それから沖縄に戻ってきて古着屋さんみたいなところで働 いていました。結局そこでもコンバース履いていたんですよね。沖縄に住んでいても、何度か神戸に行 く機会があって、その度に柿本商店に立ち寄って買い足していました。柿本商店の周さんは、いつ行っ ても私の履いているコンバースの製造年を当てるんですよ、「何年何年に出たコンバースだね」って。 柿本商店は伊藤忠商事が親会社のコンバースジャパンの製品を取り扱っているんですよ。最近の話なん ですけど、台湾に行ったときに、アンディ・ウォーホルのコンバースを買ったんです。それを履いて柿 本商店に行ったら、「おっ!おっ!」って言って周さんは褒めてくれるんですよ。コンバースジャパンの 商品じゃないのに。すごいなぁ、懐が広いなって。コンバース愛を持っているお客さんにはすごく優し い人で、綺麗に履いてるね、とかちゃんと褒めてくれるんですよね。

コンバースって 1 年の間に出したデザインを次の年には出さないので、何か気に入ったものを買って、 また欲しいなって同じものを買いたいなと思っても出会えなかったらもう買えないので、そういう意味 では、履きつぶしてまた次の新しいコンバースを手に入れるっていう楽しみをなんかずっと持って履い ていたかなぁ。その年に気に入ったものを買って、履き潰してから新しいものを買うっていうのがマイ ルールかなっていう感じです。足は2本しかないですしね。

White atelier BY CONVERSE(※6)っていう、真っ白なコンバースしか出さないお店も出来ていて、 ここでは靴にテキストを入れたり、ホール(※7)の色を変えたりとかカスタマイズが出来て、自分だけ のオリジナルのコンバースを作ることができるんです。もうほんとうにかわいくて!最近買ったお気に 入りは、完全防水のコンバースで、梅雨時期に大活躍だと思って買いました。旅行とか行って雨に降ら れた時、ちょっと絶望感ありますよね、これを履くとそれがなくていいなと思って。コンバースの街歩 きで結構足がしんどくなることがあるのですが、この防水靴はそれがあんまりなくていいなっていうの で最近結構お気に入りでみんなに自慢しています。

10 年前に矢野顕子さんが出ている『私のリュックひとつ分』という NHK の番組を観たことがあって。 そこでは、「住み慣れた家を離れ、二度と戻れない旅に出るとする。そのとき持っていけるものがリュッ クひとつ分だけだとしたら、あなたは何を選びますか?」というお題を出されるんです。矢野さんは紙 に書いた鍵盤を持っていくんですけど、私だったらコンバースを選ぶなぁと思いました。番組を観た 10 年後の今、またそのことを思い出して、やっぱりリュックに入れるものはコンバースだな、と思いました。

 

コンバース(※1)CONVERSE 1902 年にアメリカ・マサチューセッ ツ州にてブランドが発足。1917 年に今でも絶大な人 気を誇るキャンバスオールスターが誕生する。

モトコー(※2)元町高架通商店街の略称。JR 元町駅西口から JR 神戸 駅まで続く約 1km の商店街。

柿本商店(3※)1968 年創業。1980 年頃からコンバース専門店に。 約 4 坪半の店内に所狭しとスニーカーが溢れている。(現在は徒歩数分の場所へ移転)

 

クラークスのナタリー(※4)Clarks Natalie  英国・サマセット州にて 1825 年に創業。革靴であり ながらカジュアルシューズの原点とも言えるブランド に。ナタリーはクレープソールが特徴のクラークス定 番のシリーズ。

 

カンペール(※5)CAMPER スペイン・マヨルカ島にて前身となる靴作りを 1877 年にスタート。1975 年に最初の靴『カマレオン』誕生。 カマレオンは形を変え現在もシリーズとして作り続け られている。

White atelier BY CONVERSE(※6)原宿と吉祥寺にあるコンバースのシューズ直営店。 シーズン内の全コンバースが販売されている。

ホール(※7)シューレース(靴紐)を通す穴のこと。シューレースホール、レースホールとも言う。

 

靴のはなし 東野華南子

靴のはなし 東野華南子

あずのかなこ

埼玉県出身、諏訪市在住

株式会社 ReBuilding Center JAPAN取締役

 

 

 

 『靴』の思い出と聞いて真っ先に思い浮かんだのはお父さんのこと。私のお父さん、埼玉に住んでいる時に年中、冬も下駄を履いている人だったんです。さすがに仕事中とか海外に住んでいた時には履いたりしていなかったけど。歩いているとカランカランと下駄の音がするから、地元の人たちからは「かなちゃん家のお父さんが歩いているのがわかる」って言われていました。子どもの頃、お父さんの下駄はすごく大きいのに私は一生懸命それを履いたりして、「大人になったらお父さんの下駄を履いてみたい!」と思っていました。子どもの頃って、お父さんが履いているものがかっこいいと思っちゃうことってなかったですか?高校生の時のHARUTA(※1)の靴が人生はじめての革靴かな。中学生の頃はロンドンに住んでいて、日本の雑誌を読んで「これが日本の女子高生がみんな履いているHARUTAの革靴かぁ!」と知って憧れていました。

 いま(インタビューの時)履いているこの革靴は、あずのさん(※2)と付き合い始めてから、あずのさんがはじめてプレゼントしてくれたものなんです。nakamura(※3)っていう革靴屋さんが作った靴で、コッペパンみたいな形をしていて。よくふたりで行っていたカフェの店員さんがここの靴を履いていて、足に馴染んでくたくたになっている感じがすごく良くて。nakamuraが家の近くにあるって知って、あずのさんがクリスマスだったかな?その時にプレゼントしてくれたんです。その当時、ゲストハウスで働いていたから靴の脱ぎ着が多くて、軽く履けて軽く脱げるものをよく身につけていました。それまでスニーカーとかスリッポンとか、履き潰して終わりみたいなものをよく履いていたから、手入れして履く靴っていうのは、高校生の時に履いていたHARUTAの革靴以来なのかな。25歳くらいの頃はスニーカーとかばかりで革靴になかなか慣れなくて足が結構痛くて。それに自転車通勤していたので、ブレーキをかける時に革靴に傷が付くのが嫌でなかなか履けないでいたんだけど、最近また履くようになりました。ゲストハウスを辞めて、medicala(※4)の現場が始まる前にまた履きはじめて、そしてまた最近からもよく履くようになって。革靴って長く使えるからいいなって思って。山口で革靴を作っている池間さん(※5)っていう人がいて、履く人の足の型から作っていて、池間さんの靴はしばらく履かない時期があっても履けるし、直してもくれるから長く一緒にいられるし、それで革靴はいいなぁって改めて思いました。保っていられるっていうか。スニーカーはどんどんくたびれていくだけで、置いておいても強くはならないし、履き潰す感じがする。手入れしようがないかな。25歳の時、革靴を履くようになってからはじめて「育てるものが自分のところに来た」って思いました。

 

 スエード地でかわいいくて、底が薄いからすぐにだめになっちゃうんだけど、旅に行くときはいつもミネトンカ(※6)を履くって決めていました。履き潰す系の薄い靴は、そのあと手元に置けない寂しさがあって、どんなに思い出がつまっていてもどんなに杢太郎(※7)のファーストシューズがかわいくても、ずっとは手元に置いておけない悲しさがありますよね。

 自分のお小遣いで一番最初に靴を買ったのは大学生の時かな、長く海外に住んでいたから、日本の女子高生や女子大生が持っているものに強い憧れがあって、みんなが持っているものを私もほしかった。アムロちゃん世代(※8)だから ビルケン(※9)とか みんなが持っているものを自分ももつことが価値のあることだったから。みんなが持っているからって理由じゃなくて、靴ってこんなにくたくたになるものなのかぁ!と、ものと長くつきあっていく、その人のものっぽくなっていくんだなぁと感動して買ったのはnakamuraの靴がはじめてだったんじゃないかな。自分の意志で、これがほしいって思ったのは。ほかに思い出す靴の話だと、働きはじめた時にセレクトショップで買った靴だったり、ロンドンで住んでいた頃に履いていたSKECHERS(※10)かな。

  KEEN(※11)の靴はスタッフみんな大好きで、会社のみんなも愛用していて、会社もとてもすばらしくって、ポートランドのリビルディングセンター(※12)もKEENにサポートされていて、みんなKEENをはいているんですよ。冬のブーツがほんとうに暖かくて、すごく守ってくれている感じがします。KEENの靴は工事現場でも履けるように鉄板が入っている仕様もあって、ポートランドと諏訪、どちらのリビルディングセンターも釘なんかがよく落ちている現場だから怪我しないために、ポートランドではKEENがリビセンに靴をプレゼントしている形になっているんです。履きやすさと扱いやすさでリビセンでも使う人たちが増えていっている。夏のサンダルもすごくよくって、足にフィットする感じとかホールド感というか、仕事中の疲れが全然違う。立ち仕事が多い現場なので、服もそうだけど、ストレスなくちゃんと靴が履けているっていうことがとても大事なんだと思う。

 

 

 

 

 

HARUTA(※1) 1917 年に東京都荒川区で創業。学校指定の通学靴と しては国内トップシェア。ローファーとストラップ シューズが看板商品。

あずのさん(※2)東野唯史。株式会社 ReBuilding Center JAPAN 代 表。

nakamura(※3)中村隆司、中村民さんご夫妻によるシューズブランド。 足立区に工房とショップを構える。

medicala(※4)2014 年始動、東野夫妻による空間作りユニット。下 諏訪のマスヤゲストハウス、萩の roco など手がける。

池間さん(※5)池間貴幸。山口県山口市でオーダーメイドの靴を作る靴職人。 

ミネトンカ(※6)アメリカのハンドメイド・インディアンモカシンの老舗ブランド。 

杢太郎(※7)やたろう。華南子さん家の長男。電車が好きな3歳。

アムロちゃん世代(※8)沖縄県出身の歌手・安室奈美恵のファッションが 1996 年前後に大流行。スタイルを真似た人たちは『ア ムラー』と呼ばれた。

ビルケン(※9)BIRKENSTOCK。ドイツ発祥の靴ブラインド。創業 250 年になる世界の靴メーカーの中でも老舗中の老 舗。

SKECHERS(※10)アメリカ・ロサンゼルスにて 1992 年にグリンバーグ 親子によって設立。ドクターマーチンの代理店などを 勤めたのちにオリジナルブーツやスニーカーの製造を 行う。

KEEN(※11)2003 年にアメリカ・カリフォルニア州にてフットウェ アブランドとして設立。社会貢献活動(CSR)を積極 的に行っている。

ポートランドのリビルディングセンター(※12)アメリカ・ポートランドの DIY の聖地。ここを訪れ た東野夫妻は深い感銘を受け、日本版のリビルディン グセンターを作りたいと決心したという。

 

 

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